頭の中のセロトニンの行方

サブカルメンヘラが何か書く

他人はどこまで見ているか

他人はそこまで自分を見ていない.

そして自分も他人をそこまで見ていない.
いつも「それは本当なのか?」と疑ってた.





どこにいても
自分の選択によって道が開かれる.

別に自分が楽しければいいし、
他人と比較しても、
その対象となる他人の母数が多すぎて
比較するのがアホらしくなる.

だからみんなそう言うのかなって.






でも僕はたとえ他人が
僕を見ていないとしても、他人を見てる.
自分が傷つくのが怖いから、
先手を取って他人の色んな面を把握しようとする.


そして他人は僕に
そこまで見られてると想定してないし、
そもそも興味の対象でないから.
何度も同じことを質問してくる.

だから僕は頭の中のファイルに
「この人のこの質問はn度目」って書き込む.






この
"他人はそこまで自分を見ていない."
"自分も他人をそこまで見ていない."
って言うのは、なんらかの条件が揃っている時に起こるものだって気がついた.


1.対象である"他人"が多すぎる
→東京 とか

2.関わりが浅い人間との交流
→2〜3回しか会わない程度の人 とか

3.自分に余裕がない
→仕事や勉学が忙しい

4."他人"に対しての認識の差
→自分が友人と思っていても、
    相手からしたら他人 とか


まあ、列挙してみると
そらそうだわって感じだけどw




他人を意識させるためにある
順位、営業成績、得点 なんかは
顔も知らない他人と争わないといけない.
こういうのもあって

他人はそこまで自分を見ていない.
そして自分も他人をそこまで見ていない.


っていうのが生まれたのかな?
そう出なきゃ自分が潰れちゃうじゃん.
こう自己暗示をかけることで
自分を保ってるのかなあって(想像だけど).





なんかまとまりのない文章だな.





おわり